院長紹介

【院長】 山下 良太

血液型:A
動物占い:狼
趣味:サーフトリップ
コメント:気持ちのこもった診療を心がけます。歯周病専門医としての特色を活かして、皆さまのお口の健康を守ることで、全身の健康維持のお手伝いが出来ればと考えています。いつまでも健康で、美しい歯でいられるようスタッフ一同全力でサポートします。
【経歴】
平成 8年3月 福岡歯科大学 歯学部 卒業
平成12年3月 福岡歯科大学大学院 終了(甲 127号)
平成12年7月 福岡歯科大学 口腔治療学講座 
歯周病学分野 助手採用
平成16年5月

日本歯周病学会専門医取得
(専門医登録番号 第774号)

平成18年3月 福岡歯科大学 口腔治療学講座 
歯周病学分野 退職
平成18年4月 山下良太歯科クリニック開業

所属学会
・日本歯周病学会
・日本歯科保存学会

 

【専門とする疾患など】
 10年間、福岡歯科大学 口腔治療学講座 歯周病学分野にて歯周病研究と臨床医(歯周組織再生治療)として研磨して参りました。今まで行った歯周外科処置は2000症例以上、歯周組織再生治療は1000症例以上にのぼります。治療が終了し患者様から「口臭がきにならなくなった。」「人前で大きな口をあけるのが恥ずかしくなくなった」「硬い物が噛めるようになった。」などの言葉をいただけるようになりました。治療には、時間と費用がかかりますが治療終了後にはすばらしい結果が待っています。 今までの歯周病専門医としての経験から、様々な選択肢の中から、各患者様に合った再生治療、歯牙移植、インプラント治療などについて、詳しく説明し治療することができます。

 もちろん治療は、患者様とよく話し合った上で治療方針は決めていきます。再生治療とはどんなものか、いままでおこなってきた症例を見ていただきながら説明していきます。

*歯周組織再生治療とは:歯周病により破壊された組織(骨や靭帯などの歯周組織)を回復させることです。


 父、母、姉2人の長男として昭和44年5月12日に久留米市で生まれました。当時、父は久留米大学病院の勤務医をしていましたので、大学病院の近くの職員住宅に家族5人で生活していました。

山下良太院長 幼少時代 幼稚園は地元の久留米信愛幼稚園に通い、剣道、ピアノなどを習っていました。しかし、遊ぶことや、いたずらをすることが大好きだった為、ピアノはわずか半年で辞めてしまい毎日近所の友達と遊んでばかりでした。また、当時、幼稚園に通ってる時に父の仕事の関係で、沖縄に転勤となり沖縄のあいじ幼稚園へに移ることとなり、初めて九州以外での生活が始まりました。

沖縄は日本に復帰してまだ2年という時期だっため、アメリカ色のまだ、まだ強い環境でしたが、私にはとてもマッチした環境でした。沖縄でも、近所の子供たちと毎日日が暮れるまで、裸足で走り回りあそんでいました。週末は、家族5人で海岸へ行って、海水浴、バーベキューなどをして過ごし、とても楽しかったことを覚えています。そのおかげで、すっかり沖縄になじんでしまい、地元の子供になってしまっていました。この時の思い出はぼくの人生の中でもとても大事な時期だったと思います。

  そんな楽しい生活も約2年間で終わり久留米に戻り、再び久留米信愛幼稚園に再入園することなりそのまま卒園し、地元の西国分小学校へ入学しました。私の小学校入学と同時に、父が「山下脳神経外科」を開業することなり現在の諏訪野町へと引っ越してきたのです。もともと、母の両親が住んでいた場所だったのです。


山下良太院長 幼少時代

 小学校時代は、とにかく父は仕事が忙しく、母も父のサポート(事務関係)で忙しく、私たち兄弟は母の両親に面倒を見てもらっていました。当時は、救急医療体制も今のように出来ていなかった為、夜中に救急車が来て父が家を出ていってそのまま帰ってこないことがしょっちゅうでした。そんな、父の背中を見て育っていましたので、私も将来は父のような医師になり病院を継ぐのだろうなとおもっていました。私の小学校入学と同時に、父が「山下脳神経外科」を開業することなり現在の諏訪野町へと引っ越してきたのです。もともと、母の両親が住んでいた場所だったのです。

 


 中学も地元の諏訪中学校へと進学することなりました。この時期に、今でも仲のよい大親友たちと出会うことが出来たのです。当時の中学校は校内暴力が盛んな時期のなか、毎日塾に通っていました。塾の仲間たちと帰りに遊んで帰るのが楽しくて塾に通っていようなものでした。しかし、中学時代には良い高校へ行って、医学部へ行くものだ考えていた為、よく勉強していたと思います。成績もクラスではトップクラスのほうでしたが、むちゃくちゃ成績のいい方ではなかったのです。しかし、両親も私自身も地元のトップクラスの高校へ行くものだとおもっていましたし、いかなければならないと感じていました。将来は父の後を継ぐのは当たり前という環境でしたし、自分自身もそうなるべきだと思っていました。

高校は、地元の県立明善高校へ入学し楽しい高校生活を送るのです。しかし、高校での成績は本当に悪かったのでいつも劣等感を持っていました。高校でも、もちろん将来は父の後を継ぎ医師になるものだと強く思っていましたし、高校の友人たちもなるべきだと言ってくれていました。しかし、成績は上がらずとても医学部に合格できるような成績にはなれませんでした。結局、すべての医学部に失敗し浪人生活をおくることとなるのです。

 

 浪人生活は、全寮制の医学部歯学部専門の予備校へ入ることなり、1年間ここで医学部めざして勉強を頑張ることとなるのです。この予備校での1年間が僕の人生を大きく変えるのです。予備校での成績は、高校時代に比べるとかなり良くなって来ていましたが、医学部に合格出来るほどの成績までには行きませんでした。そして、運命の受験を迎えることとなるのですが、「医学部以外に練習で歯学部も受けてみたら」と母が言い出し、私自身も歯学部なら今の成績で充分合格できる位だったので、受験してみることにしたのです。また、たまたま、予備校の寮の同部屋だった友人は歯学部希望で、ぼくが受験しようとしていた福岡歯科大学を受けるというのです。その友人の話を聞くうちに凄く歯学部に興味を持つことが出来るようになったのです。後に、この友人とは大学時代もサーフィン部で一緒に苦楽をともにし、今現在は、当医院のインプラントを担当してもらっているという永い付き合いになっているのです。

 


山下良太院長 大学生時代

 大学は、福岡歯科大学に平成2年に入学することとなり、歯科医師を目指すこととなるのです。入学してすぐは、本当は医学部を目指してきていたのですごくこれで良かったのかなと、自問自答する毎日でした。しかし、自分自身で決めたことだし、歯学にも興味をもてるようになってきていたので、すぐに頭を切りかえれることが出来ました。また、入学してすぐに入った、サーフィン部の先輩たちがすごく楽しくも、厳しく指導してくれたおかげで、サーフィンはどんどん上達し、大会では優勝や入賞を多数することが出来様になりました。

 

何よりも、サーフィンをとうして知り合えた友人、先輩、後輩たちは今でも何物にも変えがたいぼくの宝物となっています。とにかく大学時代は、大学に行く前の朝にサーフィン、大学での授業、授業が終わってサーフィン、その後サーフィン仲間とお酒を飲みながらのサーフィン談義というサーフィン漬けの学生時代でした。山下良太先生 歯科大学時代また、4年次にはサーフィン部のキャプテンも勤め、総勢約30人程をひっぱって全日本医科歯科サーフィン選手権で、団体で準優勝することが出来たことはいい思い出になっています。しかし、サーフィンばかりしていたのではなく、しっかり授業は受けていましたし、成績もそれなりに良かったのです。また、後に結婚することとなる妻との出会いも、福岡歯科大学だったのです。大学学生生活の6年間は、永かったような、凄く短かったような充実した6年間でした。本当に、この6年間は自分の人生を大きく変えた出会いの連続でした。妻、サーフィン、サーフィン仲間、先輩、後輩、等々・・・・・・・全ての人に感謝、感謝です!

 


 大学卒業後は、福岡歯科大学大学院(歯周病分野)栢 豪洋教授の元へと進むのです。ここで、上司の先輩たちに、社会人として、歯科医師としての考え方、心構えを徹底的に厳しく教え込まれました。大学院1年目は、毎日深夜2、3時まで実験のアシストをし朝は7時からまた実験の連続でした。最初は慣れるまで大変でした、先輩には怒鳴られ、何回も辞めようかと思っていました。しかし、ここで逃げては何も残らないし、気合だけは人一倍強かったので、何とか辞めずに大学院1年目を終えることが出来たのです。この1年の経験が自分の歯科医師としての重要な根幹となっていくのです。

 

 大学院2年目からは、実験のテーマも、もらい歯周病と免疫の関係の実験に取り組み無事4年間で歯学博士をとる事が出来たのです。大学院では、歯周病がどの様な仕組みで、発症し進行していくのかをミクロの世界から見ることが出来たことは、その後の臨床の場に大きく役に立っています。

 

 大学院卒業後は、福岡歯科大学歯周病学分野の助手として、学生指導、臨床研修医指導、衛生士指導、などの教育に従事していました。教育するなかで、人にものを教えることの難しさ、楽しさ、喜びを学ぶことが出来、いい思い出にもなり、いい仲間とも出会えることが出来たことは最高でした。 臨床に関しても、当時まだ再生治療はメジャーでなかったのですが、いち早く取り組みいい臨床成果を上げることが出来るようになったのです。また、栢教授の後に来られた、坂上教授に3年間指導していただき、日本歯周病学会専門医を取得することも出来たのです。卒業後も、様々な先輩、同僚、後輩たちのおかげで成長することが出来感謝、感謝です。

 


 平成18年4月に、地元久留米に帰り「山下良太歯科クリニック」を開業し、自分の得意とする歯周病を中心とした治療を行なっています。まだ、まだ開業して間もないのですが地域の人はもとより、他県からもきていただいています。

 

山下良太院長歯周病というものは、皆さん治らないと思っていた方が多く、当医院に来られて話を聞くうちに歯周病は治る上に、再生も出来るんだと驚かれます。実際、おおくの患者様が治療を終わられ、「以前は、いつも口の中から出血してたのがなくなった」「硬い物が食べれるようになった」等等のはなしを聞けるようになってきました。これからも、少しでも多くの患者様の悩みを解決していけるよう日々研磨し、地域医療に貢献できるよう情熱を燃やしていきたいと思っていますので、これからも、「山下良太歯科クリニック」を宜しくお願いいたします。

 

久留米市 山下良太歯科
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